東野 圭吾「人魚の眠る家」

東野圭吾

作品:人魚の眠る家

東野圭吾の作家デビュー30周年記念作品。
堤幸彦監督、篠原涼子主演で映画化され、2018年11月16日に公開。
第31回東京国際映画祭の「GALAスクリーニング」作品に選出された。

東野圭吾

著者:東野 圭吾

出版社:2015年11月18日 株式会社幻冬舎

あらすじ

ある少年が、ふと見かけたお屋敷に足を踏み入れ、窓から中を覗くと・・・そこにはとても綺麗な人魚のような少女が椅子に座って眠っていた。
そう、眠っているように見えた。
少年は「彼女にもう一度会いたい」と願い続け、また会う事ができるのだが・・・
実は少女はプールで溺れ、植物状態だった。

感想

読み進めていくうちに、切なさと奇妙な感覚に襲われます。
プールで事故に遭い、植物人間になってしまった娘の事を受け入れられない母親。
おそらく、母親なら「ずっと眠っていても、生きてさえいれば良い」、そう考えると思います。

最新式技術を使い、まるで本人の意思で動いてるように体を動かす・・・

それを納得できなくても、はっきりと反対できない家族。
みんな両親(特に母親)の切ない気持ちを理解しているからこそ、言えないんですよね。

実際にこんな事が可能なのか・・・と言うところは、さすがに大阪府立大学の工学部電気工学科卒、そしてデンソーの元エンジニアだけありますね。

描写説明も詳しくて「なるほど、そう言う方法があるのか」と納得させられてしまいます。
こんな最新技術が本当にあれば、実際の医療に使えるのではないだろうか?
でも、倫理的にどうなんだろうか?
と、自分の中で葛藤しながら読みました。

どんどんエスカレートしていく母親に、残された弟の気持ちを考えると、これまた切ないです。

誰が、何が正しい、間違っているとか、倫理、道徳、道理とか、そう言う問題ではないんですね。
みんなそれぞれの感情があり、みんなが苦しい。
いや、本当は心の中で「これではいけない」と解っているはずなのです。

しかし、子どもは正直です。
小学1年生の弟は、お姉ちゃんの事を見た同級生から、「お前のお姉ちゃん、もう死んでるんだろう?気持ち悪い」と言われ、お誕生日会にも来てもらえませんでした。

一生懸命な母親を見て、ずっと自分の気持ちを言えなかった弟も、最後にははっきりと自分の思いを口にします。
残酷だけれど、いつか誰かが彼女の母親に教えなければならなかった言葉です。

読み終えてからも、やはり何が正しくて、何がいけないことなのかはっきりと自分でも解りません。
単純な「フィクション」では片付けられないような気持ちにさせられた小説でした。




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